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右脳で…!
「んーーーー!」
暖かい春。
快晴の最高の天気。
そんな中で、一人の少女の不満そうな声が響いた。
「ダメです! なんで上手く描けないんでしょう…!」
…少女の名は美坂 栞。
スケッチブックとにらめっこしながらあれやこれや呟いている姿は一見絵の上手そうな人のように見えるが、人は見た目じゃない。
彼女の絵は、言うなれば小学生2年生くらいが頑張って描いたクレヨンでの落書きと言ったところか。
…遠まわしに言わないで直接言えば、下手なのである。
「えぅ〜、私、センスはあると思うんですが…」
じーっとスケッチブックを見ながら。
センスがあるとかどうとかいっている地点で既に間違いと言われそうだが、プロレヴェルまでいかなければ誰だって普通に描くだけで絵は上手くなるものだ。
「ずーっと毎日毎日描いてるのに、上達しないですぅ…」
そう言い、ふぅっと溜息。
「あら、栞さん。何をしているんですか?」
と、そんな栞に声をかける一人の少女が。
朱色の綺麗なショートヘアで、一般的に綺麗と言われる顔つきをした少女。
名を天野 美汐。
「美汐さん…。絵を描いていたんです」
パタンとスケッチブックを閉じてから応える栞。
自分で下手と自覚しているためか、他の人には見せたくないのだろう。
「絵、ですか…」
ちょっと興味ありそうな顔を見せる美汐。
対して栞は、ちょっと苦い表情を見せる。
大方「ヤバイです。喰いつかれました!」などと思っているのだろう。
「ちょっと、見せてくれませんか?」
栞の気持ちなど知らず、笑顔で言う美汐。
「えぅ…あの、その…私、下手ですから…」
ちょっともじもじした態度を見せる栞。
「ええ、下手でも構いませんよ」
それでも美汐の好奇心が止むことはなく。
「…はぁ、わかりました」
やむなく栞はスケッチブックを指し出したのだった。
栞の手からスケッチブックを受け取ると、楽しそうな表情で一番初めのページを開く美汐。
「…」
そして、固まる。
それを見て栞は、「だから下手だって言ったじゃないですか〜」と小声で言っていた。
しかし、栞の言葉をスルーし、ページをめくる美汐。
その目は何だか見たこともないようなものを見ています! というような物だった。
パタン。
…全部のページに目を通したのだろう。
スケッチブックが閉じられた。
そして顔を上げた美汐は栞を見つめ、対して栞は苦笑いを見せる。
「ちなみに聞きますけど、この絵は何の絵ですか?」
一応確認しておこう、という表情で聞く美汐。
対して、ここの噴水です…と、自分の背後にある噴水に目を向けて照れくさそうに言う栞。
その言葉を聞いて、一回ふぅっと息を吐いて、その後「そうですか…」と返す美汐。
が、しかし。
そのまま静かな雰囲気のままだと思われたが、急に美汐が口を開いた。
「栞さん。貴女は絵を左脳で描いてますね」
と。
言われたほうの栞は顔に? を浮かべ、「左脳…ですか?」と応える。
「はい。左脳です。絵を上手く描くためには、左脳ではなく右脳を使って描くんですよ」
自分の指で右脳を指しながら言う美汐。
栞は「そうなんですかぁ」と言いはしたが、右脳左脳なんてことは今まで考えたことがなかったらしく、よくわからないと言った表情をしていた。
それを察した美汐が続けて口を開く。
「いいですか。絵と言うものは計算などとは違って、頭の中で複雑な考えをするわけではなく、頭で考えたことをいかに腕によって画くか。です」
それは納得できるところがあるらしく、うんうんと頷く栞。
それを見て美汐は続ける。
「本来、人間の脳は計算などには左脳。絵画などの芸術にはこちら、右脳を使います。と言っても、さあ使うぞ! というノリで右脳を使うことはできません。しっかり右脳の訓練をすることが大切です」
つんつんと自分の頭に指を指しながら言う美汐。
雰囲気は完全に美術の先生だ。
「右脳の、トレーニング…ですか?」
よくわからないような表情で言う栞。
「はい。…そうだ、栞さん。私が栞さんに右脳のトレーニングのコーチになってあげましょうか?」
「あ…美汐さん! お願いします…!」
なんだかよくわかってはいないらしいが、とりあえず美汐が上手く絵を描ける方法を教えてくれるとは思ったのだろう。
すぐさまその提案に飛びつく栞。
「わかりました。では引き受けましょう」
にっこりと笑顔で言う美汐。
「あ…それより美汐さん、何でそんなことに詳しいんですか?」
当然の疑問だろう、美汐に訊ねる。
対して天野は、
「なぜかと言えば、私が美術部だからです。絵は趣味なので…」
と言う。
静かな空間で真剣に絵を描く美汐の姿。
それを想像して、栞はすぐに「合ってる…」と思った。
…なんにせよ、本物の美術部員が教えてくれるんだ。
栞は自分の可能性に少し自信を持ち、そしてわくわくしていた。
そして、一ヵ月後。
「できましたっ!!」
学校の美術室から、元気な声が響いた。
「うん、栞さん。すごい上達ぶりです!」
そして美術室には、一ヶ月でかなり打ち溶けたのだろう、仲の良さそうな栞と美汐の姿が。
そしてスケッチブックには、一ヶ月前とは見違えるにも程があるほどに成長した綺麗なデッサンが描かれていた。
「今度、祐一さんに見せてビックリさせてやりたいですぅ〜」
「ふふっ、そうですね」
「…でも、私でもやればできるんですね〜」
自分で意外そうな表情をして呟く栞。
「当たり前です。誰だって右脳を鍛えれば上手く描けますよ」
確信があったのだろう、美汐は当然! と言ったような表情。
――そう、ある程度のレヴェルまでは、才能の差なんか考えなくてもみんな描けるようになるんだ――
「天野さん」
ある日、廊下を歩いていた美汐に急に声がかけられた。
「あ、香里さん…」
声をかけたのは、鞄を持っている香里だった。
「ええ、そうよ。なんだか栞がすごく喜んでたみたいで、貴女にお礼をしにこようと思ったのよ」
「いえ、そんなお礼なんか…あ、そういえば…」
何かに気付いた表情になる天野。
「何? 美汐さん」
「栞さんは、絵がうまくなりたかったのなら何で部長に聞かなかったんでしょうね」
部長。
そう呼ばれて少し照れくさそうな表情になる香里。
「あはは、もう部長じゃないってば。今の部長は天野さんでしょ。…それにあの娘は、あたしに教えてもらいたくはなかったのよ」
「え…? どういうことですか?」
ちょっとわけがわからない様子の美汐。
美坂姉妹はどうみても仲が良い姉妹。
お互い遠慮なんかしないと思うし。
「こう言うことよ」
そう言うと、持っている鞄を降ろし、中から一枚の紙を取り出した。
「あ…これは…」
「…そう。あたしよ。ホントにビックリしたわ。あの娘がいきなり上手くなってて」
その一枚の紙には、優しそうに笑っている香里の顔が描かれていた。
「栞さん、何であんなに頑張ってるかと思ったら、そう言うことだったんですね」
――なんで頑張ってるか、ですか? えへへ〜、描きたい人がいるからです♪――
「ホント、突然行動する娘で…」
ちょっと照れくさそうに。
「あははっ、でもホント、よかったじゃないですか」
「…そうね」
美汐は見た。
二人の姉妹の笑顔を。
そして思った。
――絵を教える仕事も、いいかもしれません――
天野 美汐、16歳。
高校二年生のある日、美大を志す―――
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