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第二十一回
「よし、じゃぁ今度はその格好で外へ出よっ?」
「え゛っ!?」
鏡を見て満足した凛を見た美雨は提案したが、凛はそれに対し、驚きの色を示した。
「あ、あのさ、美雨。お前が見て、私も見たんだから、これで良いんじゃないか?」
「でも、春風ちゃん達にも…」
「それは私が後で個人的に…。だから頼む!! 外に出さないでくれ」
「えーと、何でそんなに?」
「いや、だって…。さっき集まってた人達、いきなり下を向いて口を押さえただろ? やっぱり男からすると私には似合っていないんじゃ…」
つまり彼女が外へ出たがらない理由を要約すると…
先程、凛の刺激に耐えかねた人達が鼻血を堪えるのに必死だった形相が、凛には吐いている様に見えた、と言う事である。
「本気で言ってる?」
「当たり前だっ!! いくら可愛げの無い私でも女としてのプライドくらいあるぞっ!!」
「じゃぁ、名誉挽回でレッツゴー」
「あっ、あっ…いやぁ〜」
再度、男達の前にスカートを履いて出ると言う恥ずかしさが、通常の凛では考えられないほど彼女をパワーダウンさせ、美雨にあっさりと引きづられて行った。
そしてあっさりと彼女は観衆の目に晒される事となる。
第二十二回
試着室から姿を現した、ピンクのカーディガンとフレアスカートに身を包んだ凛。
かなり恥ずかしがっているのか、顔を赤らめてもじもじとしている。
その様子は、普段の凛の姿からは到底想像することができないものであった。
何というか…率直に言えば『乙女チック』なのだ。
「ほらほらー、そういうのも可愛いけど、もっと自信もとうよ凛〜」
その背中をぽんぽんと叩く美雨。
「で…、でもっ」
「凛、ほら見てごらんなさーい! あのギャラリーの顔の赤いこと赤いことっ。ありゃきっと全員凛に惚れたわねぇ」
「…えっ」
俯き加減だった凛が顔を上げると、確かに美雨の言うとおり、ギャラリーとして集まっていた男性の殆どが顔を赤く染め、先程までの凛と同じように俯いていた。
ついでに、数人の女性も同じようにしていた。
美雨は、そんなギャラリーの様子にぽかんとしている凛の腕を引っ張り、春風たちの元へと向かった。(凛の制服は美雨が片手に持っている)
「えっ…あ、お姉ちゃん!?」
そして、凛が春風たちの元へついた時の第一声が、春風のこの驚きの声。
可奈、椛、このかに至っては、驚きのあまり声も出ない、といったような感じで、唖然とした表情をしていた。
この時、なんと言う偶然か、春風も凛と同じように、ピンクのカーディガンにフレアスカートという服装だった。
「わぉ、春風ちゃんも同じ格好だっ」
美雨の場合は、春風の姿を見て驚きの声を上げていた。
そして今、お揃いの可愛い服に身を包んだ、二人の美少女が揃うこととなった。
第二十三回
「は…春風。そ、そんな服を着るとは随分とノッているな…」
自分が春風に辱められる前に凛はどもりながら言った。
一方、先手を打たれた春風は頬を赤く染め、俯いた。
「だって…」
凛が美雨と試着室で戯れている間、春風は外でギャラリーを集めていた。
見られる事に慣れてきているのか、春風は既に普通に振舞っている。
しかし、ギャラリーの…ある一人の一言で彼は、この場で女として振舞わなければならなくなった。
それは芸能界のスカウトマンから発せられた言葉…
つまり、彼を彼女と判断しての言葉が理由だった。
もし、ここで彼が男であるから、と否定してしまえば、彼は別の意味で外を歩けなくなってしまう。
その未来を恐れた彼は、慌ててそのスカウトを蹴り、女として振舞わなければならなくなったと言う事である。
「分かった? で、お姉ちゃんはどうして?」
「な、何の事だ?」
「…どもってるよ」
「うぐっ…はぁ…」
凛は彼女の慌てようを春風に指摘され、言葉を詰まらせた。
そして諦めたようにりんは美雨を指した。
「まぁ、そうだろうね。お姉ちゃんが自分からそんな格好するはずないし…」
「何か癇に障る言い方だな…でも普通はお前のほうが不自然だぞ?」
「でも…視線にはもう慣れたし…悲しい事に今は男と思われてないだろうし…」
「…視線?」
凛は春風の言葉で自分の置かれていた状況に気付いた。
そう、幾つもの視線が自分達に集まっていると言う事に…
「み…美雨!! さっさとここを出るぞ!!」
「その格好で?」
「違うっ!! 着替えてからだっ!! 春風も早くしろっ!!」
「ちょっ…ちょっと待ってよ…今ここであの制服に着替えられるわけ…」
春風の言葉が終わる前に凛は試着室へと飛び込んだ。
取り残された春風はどうすることも出来ず、ただそこに立ち尽くしていた。
何故なら、彼が今男物の制服に袖を通すと、変態扱いされるのが目に見えていたからである。
第二十四回
「はぁ〜…何でこんなことになっちゃったの?」
デパートの帰り道に、春風のそんな声が上がる。
その服装は先程と同じ、ピンクのカーディガン&フレアスカート。
…どういうわけか、ギャラリーから早く逃げようとしていた凛のせいで、春風が服装をどうしようかとオロオロしているうちに凛が春風の着ている服を買って、そのまま春風の手を掴んでデパートから出て行ってしまったのである。
…春風の制服は、後から追ってきた美雨が袋の中に入れて持ってきてくれていたが。
そんなわけで、現在春風は女の子の服を着たまま道を歩いている、ということになってしまった。
ちなみに凛の場合は恐ろしいスピードで制服に着替えていたために、今は落ち着きを取り戻していつも通り振舞っている。
「まぁ、またいつか着ることになるかもだし、OKでしょー」
美雨の気楽そうな声。
「絶対ないですっ! 大体オレはっ…」
と、その後に「男ですっ!」と言おうとしていた春風は、そこで言葉を飲み込む。
そう、今春風は女の子の服を着ている。
周りから見ればその姿を見て女装と思うものはまずいないが、春風本人としては自分は女装のまま外に出されているっ! という意識が強かった。
…女装してるなんてバレたらっ!
その意識が、春風にその言葉を飲み込ませたのだ。
「兎に角っ…、オレもう一秒でも早く家に帰りたい…」
目をウルウルさせて言う春風。
時刻は4時半。
そろそろ空も赤く染まり始めた頃だ。
「それじゃあ、そろそろ解散します?」
腕時計を見ながら椛が提案する。
「う〜む、ちと早い気がするけど、そだね、解散しよっか」
椛に美雨も続ける。
可奈はというと、春風の横で「ゴメンね」と言いながらその髪の毛を撫でていた。
「今日はホントに楽しかったですっ!」
このかの元気な声が響く。
「そうだなっ。それじゃあ皆、また明日な!」
そして、最後に凛が締める。
その後、皆はそれぞれ「バイバイッ!」と大きく手を振ってそれぞれ帰路ついた。
第二十五回
夕焼けと呼ぶにはまだ早い時刻…
人が多く行き交う商店街…
そんな情景の中、幾多の視線を集めながら歩く少女が二人居た。
一人はモデル並みのプロポーションを持ち、一人はアイドルとして暮らせそうなほど可愛らしい、小柄な容姿を持っていた。
この二人が共に歩けば、視線が集まるのは至極当然の事だった。
だが、その視線が元に小柄な少女は涙を浮かべる。
「どうか…オレの学校の人がこの中に居ませんように…」
と。
そう、彼女の名前は春風。
先程のデパートで一騒動起こした少年である。
そして彼の隣を歩いていた凛は、彼が涙ぐむのを見て、溜息を吐いた。
「はぁ…そこまで思いつめてるなら…走って帰るぞっ」
姉である彼女は弟を思いやり、そう言葉を残し、駆けて行った。
当然、春風もそれに続いた。
幸いな事に、彼らが家に着くまで知り合いに会うことはなかった。
後は、彼のクラスメートであるこのかに、今日のことを皆に告白しない事を祈るばかりである。
第二十六回
「はぁ、何とか無事、到着ー」
家までの道のりを走りきり、ほっと息を吐きながら声を出す春風。
そして、凛と春風の二人は揃って『ただいま』と言う。
当然返事が返ってくるわけではないが、代わりに庭の大木の葉が、カサカサと音を立てた。
家の中へと入ると、凛、春風はそれぞれ自室に入り、着替える。
そしてその後二人でリビングへ行き、春風が入れたお茶を飲む。
時刻は5時くらいであり、夕食を摂るには少し早く、かといって間食を摂る時刻でもない。
「あぁー、疲れたときのお茶は美味しい〜」
「…春風、少し年寄りくさいぞ」
「…別にこういう時はそれでもいいの。なんたって今日疲れたし」
そう言いながら、がくぅーっとテーブルにあごをつける春風。
「そうか? 疲れそうなことって言ったら、ボーリングくらいだと思うけどな」
それに対して凛はそう言い、その後ズズッとお茶を飲む。
「ボーリングくらいならオレ疲れないよ…。オレはその後が疲れたのっ」
一瞬がばっ! と顔を上げ、そのあとにまたまたあごをテーブルにつける。
「…はは、それはお疲れ様」
まぁ、確かにあんな長い時間着せ替え人形にでもなってれば疲れるか―。そう思った凛は苦笑いを浮かべる。
コツ、コツ、コツ、と時計の音が響く。
―春風はぐて〜っとしているし、話しかけないでおいてやろう―そう思った凛はただ、この静かな空間に身を委ねるのだった。
…くきゅるるる…
と、そんな静かな空間を打ち壊す、可愛いらしい音が鳴った。
そして、その音と同時に春風は肩をビクッと動かす。
その後ぱっと顔を上げ、両手を自分のお腹へともっていく。
すると再び『くきゅるるる』と可愛らしい音が鳴る。
「…あはははっ、お姉ちゃん、お腹すかない?」
すこし顔を赤くした春風が、人差し指をぴんっ、と立てて聞く。
…この可愛らしい音は、春風のお腹の音だった。
「…別に」
それに対して、凛の返事はこうだ。
「う…うぅ、お腹すこうよ」
「いっ…いや、訳がわからないぞ、それ」
眉を八の字にして呟く春風と、困ったような表情を作る凛。
…と、急に春風が立ち上がる。
「…ご飯、作るよ」
そして、そう呟く。
「はっ!? ちょっと春風、早過ぎない!?」
ビクッと肩を揺らし、凛も立ち上がる。
「大丈夫、後でも食べられるようにカレーにするから」
そんな凛に春風はそう答え、そして狭い歩幅でちょこちょこと台所へ向かって歩いていくのだった。
第二十七回
夕食を作り終えた春風は一人黙々とカレーを口に運んでいた。
そして凛はその様子を彼の前でじっと見ている。
その時間が五分くらい過ぎた頃、春風は沈黙に耐えかね、口を開いた。
「…お姉ちゃん、じっと見られてると食べづらいんだけど…」
「だろうな。私もそう思う」
「…じゃぁ」
「他にすることが無い上、一人だけ食欲を満たしているお前に苛ついているだけだ」
「だったら食べれば良いじゃないかっ!?」
「今から食べたら夜に腹が減るだろ」
凛の理不尽な返答に怒りがこみ上げてきた春風だったが、次に何と言えば良いか分からず、再度、沈黙の風が二人の間を流れた。
「それより春風、お前いつまでその格好で居るつもりだ?」
「だって着替えるの面倒だったし、家の中なら赤の他人に見られる心配もないし…」
そう、春風の服装は未だにピンクのカーディガンにフレアスカートだった。
先程、自室に戻ったときに着替えればいいものを、彼は面倒臭がり、ハンガーに制服を掛けるだけに止めていた。
彼の服装と彼を凛は再度、じっと見つめた。
「な…何?」
「…ヘンタイ」
ボソッと呟かれた凛の言葉に春風はカレーの中に顔を突っ込んだ。
「ってアツーッ!? じゃなくって…そもそもお姉ちゃん達が着せたんじゃないかっ!!」
「それもそうだな。さて、春風をからかって腹でも減った事だし、私もカレーを頂くとするか」
凛はそう呟き、台所の方へと足を運んだ。
第二十八回
凛が食べるカレーと、春風が食べるカレー。
この二人、辛さの好みが違うために、カレーはわざわざ甘口と辛口の二種類が作ってある。
ちなみに大方予想はつくだろうが、春風が甘口で、凛が辛口だ。
「…いつも思うんだけど、何でわざわざそんな口が痛くなるようなもの食べるの?」
そういってスプーンをぱくっと咥える春風。
「あのな、春風。逆に私から言わせれば、春風は何でわざわざそんな甘いカレーを食べるんだ? カレーは辛いものだろ? だから牛乳が合う」
「だって、辛いんだもん。…オレ、お姉ちゃんが食べてるやつなんか食べたら、次の日お腹痛くなりそーだし」
このように二人で色々と言い合いながら、毎日凛と春風は食事をしている。
この二人、わりと話題を多く共有しているために、話題が尽きない。
その為に食事中はTVはつかないし、話しながら食事するので食事時間も長い。
食事が終わると、凛はお風呂の掃除をしてお湯を入れ、春風は食器を洗う。
この辺の役割分担はしっかりとしているらしく、それぞれの手際はとても慣れたものだった。
「んにゃーーー!!!!」
と、食器を洗っている春風から、急に奇声が発せられた。
「どうした春風、猫真似でも流行りだしたのか?」
その声を聞いて、お風呂にお湯を入れ、後は待つだけになった凛がそう言いながら春風の元にやってくる。
「誰が猫なんて真似するんだよ! お姉ちゃんのせいなんだから!」
「はぁ? 私のせい?」
意味不明な春風の物言いに、不思議そうな表情で凛が春風を見ると、春風の口元にカレーがついていた。
「カレーを冷凍しておこうと思ったらちょっと指についちゃって、思わず舐めちゃったらお姉ちゃんの辛口のだったの!」
「…っ! アホ、私がそんなこと知るかっ!」
ぷんぷんと怒っている春風に、理不尽な怒りをぶつけられた凛は呆れた顔をしながら声を上げる。
「あぁー…口痛い〜…」
「自業自得。注意力散漫だ。ほら、いつまでも苦しんでないで、牛乳でも飲んで風呂入って寝ろ」
「…牛乳とお風呂まではいいけど、寝るのは流石に早すぎだと思うよ」
…春風の言うとおり、時刻はまだ8時前後である。
風呂に30分浸かったとして、今時の小学生だって起きている時刻だ。
「春風の場合は朝起きれないんだから。…また今日みたいに遅刻ギリギリになりたくなかったら早めに寝るのが一番だぞ」
「ん〜…まぁ、それもそうだけどさぁ…。兎に角、とりあえずお風呂入ってくるよ」
春風がそういうと同時に、お風呂にお湯がたまったことを知らせるアラームが鳴る。
「じゃ、入ったらお湯止めといて。私は庭で涼んでくるから」
春風にそう言った凛は、春風が頷くのを確認すると、春風に背を向けて家から庭へと歩いていった。
こうして、春風はお風呂、凛は庭へとそれぞれ向かうことになった。
第二十九回
夜空に幾多の星が輝いている。
空中には春を感じさせる穏やかな風が流れている。
まだ生まれたばかりの月が町を照らしている。
そんな幻想的な情景に身をゆだね、凛は呟いた。
「キレイな夜だな」
と。
因みに彼女が今腰掛けているのは、彼女の家に生えている木の枝である。
大人二人が手を広げようやく一回りできる巨木の枝は、彼女の体重を軽く支えていた。
凛はこの木が好きだった。
辛い事があった時は、必ずこの木を頼りにしていた。
落ち着けなくなった時は、必ずこの木の傍に来た。
悲しい事があった時は、必ずこの木に寄り添っていた。
全てを包んでくれるような包容力、それがこの木には存在していた。
少なくとも凛の心の中では存在している。
また、彼女はこの木の上で感じる風も好きだった。
上の方が心地よい風を感じることができ、尚、安心感が木より与えられているのだから…
「…キレイな夜だな」
再度、凛は呟いた。
この木に話しかけるように、そっと。
それから、凛は口を閉じ、目を閉じ、ゆっくりと木々の囁きに耳を傾けた。
風呂から上がった春風が彼女を呼びに来るまで…
第三十回
風呂から出た春風と入れ替わりに、今度は凛が風呂に入る。
凛が風呂に入ったのを確認すると、水色のパジャマに着替えた春風は牛乳を飲み、そしてリビングのソファーにちょこんと腰を下ろす。
「あぁー、サッパリしたー」
タオルで髪を拭きながら、笑顔で言う。
ちなみに春風、結構長湯をするタイプで、いつも45分程度風呂に入っている。
…今の時刻は9時前後。
やはりまだ寝るには少し早い。
「あ、明日からはお弁当あるから、今のうちに仕込みやっとこ」
そう言うと、両手をパンッと叩いてソファーから立ち上がった春風は、キッチンへととことこと歩いていき、明日の弁当の仕込みをはじめる。
今時は弁当用に冷凍食品も多く売られているが、春風の場合は全て手作り。
慣れた手つきで次々と弁当のおかずを作っていく。
…そうしているうちに、凛が風呂から上がる。
「…春風、何やってるんだ?」
そして、仕込みをしている春風に不思議そうな顔で声をかける。
「何って…明日のお弁当の仕込だよ」
「ん…? あぁ、そうか」
「お姉ちゃんの分も作ってるけど、お姉ちゃんもお弁当いるでしょ?」
「ああ、ありがと春風」
こう言った凛に春風は笑みをかえし、再び作業に戻る。
そして一方の凛はドライヤーを取り出し、長い髪の毛を乾かしはじめる。
春風が仕込みの作業を終えた時は、既に時刻は9時を回り、10時になろうとしていた。
「よーし、それじゃオレそろそろ寝るね」
「ん、そうか。おやすみ春風」
「おやすみー」
挨拶を交わし、春風は跳ねるように階段を上がっていき、そして自室のベッドに飛び込む。
その軽い体重をベッドはぽふっと受け止め、春風は気持ちよさそうに目を閉じる。
…今日一日のことを色々思い出しているうちに、春風はいつのまにかすやすやと眠りについていた。
「さて、と。それじゃ私もそろそろ眠るかな」
春風が寝た後、テレビを見ていた凛がそういって時計を見ると、時刻は11時半。
こうして凛も自室に入り眠りに付き、凛、春風の長い一日は終わりを告げた。
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