「ただいまー」
もう日が沈み、辺りが暗くなった頃、あゆ、真琴、名雪は水瀬家に帰宅した。
玄関の戸を後ろで閉めた三人は、明かりの漏れている台所の戸を開けた。
「ただいま、秋子さん」
あゆが秋子を真っ先に見つけ、挨拶をした。
残りの二人もそれに続き、軽く秋子と言葉を交わした。
そして三人が私服に着替えるため、部屋に戻ろうとしたとき、秋子は意を決し、三人を呼び止めた。
「なーに、お母さん」
名雪が不思議そうな顔で秋子の顔を覗き込んだ。
「非常に言いづらい事ですけど…」
十数秒後、水瀬家に三人の少女の悲鳴が響き渡った。
愛に時間を!!
第一話〜祐子と三人の少女〜
秋子から祐一が急用で居なくなってしまったと知らされた三人は、今、祐一の部屋で見知らぬ少女、祐子と一通りの自己紹介を済ませ、向かい合っていた。
「えっと、祐子さん、だっけ? 祐一の事、知ってるんだよね?」
名雪の質問に祐子は頷いた。
「祐一とはどういう関係なの?」
この場にいる三人、いや、おそらくは学校の女子の大半が聞きたいであろう質問を名雪は祐子にぶつけた。
そして三人の目線が祐子の下に集まる中、祐子は口を開けた。
「秋子さんから聞いてないの? ただの従兄妹よ」
祐子、祐一である彼女が何故、女言葉に慣れているかと言うと、彼女が彼であった頃は仕事上、変装して敵の情報を収集する事も時としては必要だったため、学ばされたからである。
「え、でも…」
「私は祐一の父の兄の娘。貴方が関わりがあるのは母方の方でしょ?」
聞こうとした事を先に言われ、名雪は落ち着いた。
同時に「ただの従兄妹」と言う台詞を耳にした残りの二人も胸を撫で下ろした。
「じゃぁ、祐一くんに特別な恋心とかは抱いてないんだよね? ただの、って事は…」
あゆが祐子の本心を確かめるべく尋ねた。
「まぁ、従兄妹だしね、何をそんなに心配しているの?」
「うぐぅ、だって…」
「少しでもライバルは減らしたいからよっ」
あゆが言葉に詰まったのを見て、真琴が続けた。
「はい? どう言う事?」
祐子は真琴の言った事が理解出来なかった。
それ故に唖然とした表情を作り、名雪の方へ振り向いた。
「従兄妹とかは関係ないと思うよ。私は祐一の従兄妹だけど、祐一の事好きだもん」
名雪は唖然とした表情を作っている祐子に向けて言った。
「えーと、つまり貴方達全員が祐一の事を好き、だと?」
三人が同時に頷いた。
「その好きって言うのは…恋愛感情なのかな?」
三人はあろう事か、祐一である祐子を目の前に思いきり頷いてしまった。
祐子が祐一であった時は、鈍感で三人の感情に全く気付いていなかった。
しかし、こうもはっきり告白を耳にすると、いくら鈍感の彼、もしくは彼女でも気付かざるを得なかった。
「だけどね、祐一くんったらボク達がいくらアタックしても全く気付いてくれないんだよ」
三人が鈍感だよねー、と頷き合っている中、祐子の顔には空笑いしか浮かばなかった。
「うー、それにしても祐一、酷いよー」
夕食を終えたあゆ、名雪、真琴は再度祐一の部屋に集まっていた。
そんな中で名雪が今の言葉を洩らした。
「どうして?」
祐子がその真意を確かめるべく、名雪に尋ねた。
大方、検討は付くものの、彼女は正確な理由を知る事を望んだ。
「だって私達に何も言わないで急に居なくなったんだよ?」
「そうかなぁ、皆に迷惑を掛けたくなかった、とかは?」
祐子は本当の自分が誤解されるのが嫌で、自分の弁護をした。
「まるで祐一の事を全て把握してるような言い方だね?」
「そりゃあ、私と祐一は一心同体だもん!!」
あゆ、名雪、真琴の三人は耳を疑った。
「ちょっとそれ、どういう意味よっ!?」
今まで会話にあまり参加していなかった真琴が声を高らかに上げた。
その真琴の声に釣られるかのように、あゆ、名雪の二人も祐子に嫉妬の目を向けていた。
その剣幕に気付いた祐子は、自分が今は「祐子」である事を思い出し、同時に三人が夕食前に彼女に言った祐一の気持ちを思い出し、慌てて弁解した。
「あ、うそうそ、ほんの冗談だから…気にしないで?」
だが、一度失態を犯してしまえば、信頼を取り戻すのは難しい。
三人は未だ祐子に嫉妬の目を向けている。
「ほら、さっきも言ったとおり、私は祐一に恋愛感情持ち合わせてないから…」
いくら弁解しようが三人の執拗な目は止む気配がない。
「う…どうすれば良いの?」
「祐一との今までの関係を洗いざらい吐いてくれれば良いよ?」
名雪が目の笑っていない笑みで祐子に言った。
「別に…生まれた時からずっと一緒に居たってくらいかな?」
名雪の表情を窺いながら、祐子は答えた。
「でも、七年前には祐一と一緒に来なかったよね?」
祐子は再度自分の失態に気付いた。
しかし、こうなれば彼女に退く道は無かった。
慌てて弁解しても疑われる事は必須なので、彼女は言葉を前へと進めた。
「うん、ほとんど、って事で勘弁して。取り敢えず十数年の付き合いって事」
「そう…その祐一と暮らした十数年の間、間違いは起きなかったのかな?」
「えっと、間違いって?」
名雪の言葉の真意が掴めず、祐子が聞き返した。
「例えば…」
「祐一が朝起こしに来てくれたとき、寝ぼけて祐一に抱きついて唇が触れちゃった、とか」
「祐一くんを朝起こす時に寝顔が可愛くてキスしちゃう、とか」
「祐一と一緒に夜寝たとき、寝顔を見ててキスせざるを得なくなった、とか」
「無かったの!?」
最後、三人の声が揃った。
と、同時に三人が顔を見合わせた。
「二人共、今のはどういう事かな?」
名雪があゆと真琴の二人に、今しがた祐子に向けた笑みで尋ねた。
「うぐぅ、それを言うなら名雪さんだって…」
「そうよ、何で例がそんなに具体的なのよっ!?」
三人が各々の失態に気付いた時は既に遅し、自分だけの秘密を水瀬家の秋子以外の住人に知られる事となった。
祐子に至っては三人の言っている事があまり理解出来ていないようだったが…
二月三日、本日より一週間程前の朝、相沢祐一は名雪を起こす為、名雪の部屋へと向かっていた。
祐一が名雪を起こすと言う事は日課になっていたのだが、今回ばかりは勝手が違った。
一日十二時間は寝ないと気のすまない少女が、ベッドの中で毛布をかぶり、起きていたのだ。
彼女がこのような行動を起こしたのは至って簡単だった。
理由は彼女の恋敵とも呼べる相手が、つい最近になって水瀬家に二人も居候を始めたからである。
つまり、ただ待つだけの少女では、彼女の想い人を手に入れることが出来ない、と思っての行動だった。
「名雪、入るぞ? 起きてるか?」
祐一の声が名雪の部屋のドア越しに、ノックと共に響いた。
その声を確認した名雪は毛布を更に深くかぶり、無言で過ごした。
当然の事ながら、返事の無い部屋のドアは開かれる事となった。
「はぁ、全く…」
毛布を深々とかぶっている名雪を見て、祐一は呟きを洩らした。
その呟きは静まっている部屋に響き、名雪の耳にスーッと入っていった。
それを耳に入れてしまった名雪は、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じ取った。
名雪の手は、毛布を握る力が自然と上がっていた。
「ほら、名雪、朝だぞ? 起きろ」
祐一は名雪にそう伝え、毛布に手を掛けた。
毛布が捲れあがったとき、名雪の手は毛布から外れ、名雪の顔の横に両手を置く感じとなった。
「うにゅ、毛布…」
名雪はそう呟き、祐一の両腕を自分の両方の手で掴んだ。
名雪の鼓動の速さは更に上がっていた。
「へ!? お、おい、名雪…」
名雪の鼓動の音は、近くに居る祐一に十分に聞き取れるほどになってはいたが、祐一自身の鼓動の音も大きくなっていたが為、異変に気付く事は無かった。
そして祐一が慌てている最中、名雪は毛布をかぶる振りをして、祐一の腕をそのまま抱き寄せた。
すると自然と二人の距離は縮まり、唇同士が触れ合う事となった。
唇が触れ合う事十数秒、名雪は祐一の手前、ゆっくりと目を開けた。
「わ…祐一、ごめん、だよ。間違えちゃった」
二人は顔を赤く染め、無言のまま、朝食の席へと向かった。
それ以来、この事故を装ったモーションが二日に一回行われていた。
「い…以上が私の…その、事故、だよ」
名雪があゆ、真琴、祐子を前に事故のあらましを説明した。
「そう、一つ聞いて良いかしら? 名雪さん」
説明を聞いた祐子が名雪に尋ねた。
「ど…どうぞ」
「わざと?」
名雪は顔を真っ赤に染め、頷いた。
「はぁ…あゆちゃんと真琴ちゃんのも聞こうかしら…」
祐子はただ溜息を吐き、あゆと真琴にも彼女達が起こした「事故」について尋ねた。
二月三日、名雪の説明した事故よりほんの少し前の事…
あゆは祐一を起こすべく、一人早起きをして祐一の部屋へと向かっていた。
そして祐一の部屋の前まで来た時、あゆは息を深く吸って、軽くノックをした。
返事が無いのをあゆが確認すると、ドアをゆっくりと開けた。
「祐一くん、朝だよ? ほら、ボク今日初めて学校に行くから…案内を…」
あゆがそこまで喋ると祐一が寝返りをうった。
そこで、初めてあゆは祐一の寝顔を見る事となった。
「う…ん」
一瞬、あゆの頭に邪な考えが浮かんだ。
「祐一くん、寝てるんだよね…?」
もちろん寝ているはずの祐一には、返事をする事は出来ない。
返事が無いのを再度確認すると、あゆはゆっくりと祐一の下へと近付いた。
祐一の寝顔を目の前にして、あゆの鼓動は通常より早く、大きくなっていた。
「うぐぅ…祐一くん、ゴメンね?」
そうあゆは言い、ゆっくりと祐一の唇を指でなぞり始めた。
そしてそのまま、祐一に引き寄せられるかのごとく、あゆは唇を祐一の唇へと軽く当てた。
それから数分、あゆは祐一を起こす事の出来ないまま、自分の唇を手で抑え、ポーッとしていた。
「う…ん」
祐一の軽いうめき声であゆは我に帰った。
「ゆ、祐一くん、朝だよ。学校…」
あゆが祐一の体を揺すり始めた。
すると祐一は上体を軽く起こし、目を擦り始めた。
「あゆ、か。起こしに来てくれたのか?」
あゆは頬を赤く染め、ゆっくりと頷いた。
「ん? どうした? 顔赤いぞ?」
「あ…え、とね? これからも起こしに来ていい?」
「いいぞ? こっちからお願いしたいくらいだ」
あゆの台詞を聞いた祐一は軽く微笑んで答えた。
それ以来、あゆが祐一を起こす事は日課となっていた。
朝の接吻行為も…
「へぇ〜、あゆちゃん、祐一が寝てる間にそんな事してたんだ〜?」
名雪が微笑を浮かべ、あゆに対して言った。
「う…うぐぅ〜、仕方の無い事だったんだよ〜」
祐子も半ば呆れ顔であゆを見ていた。
「ああ、祐子さん、そんな目でボクを見ないでー」
「はぁ、もうどうでも良いわ。真琴ちゃん、貴方の事も教えてもらえるかしら?」
祐子は肩を落とし、両腕を肩の辺りまで挙げ、真琴に「事故」について尋ねた。
二月二日、十一時…
先程のあゆの話から七時間ほど前の話…
あゆと名雪は既に床に就いていた。
そして祐一の部屋からはほんの僅かな明かりが漏れていた。
その部屋の中には、祐一の横に座っている真琴の姿もあった。
「面白かったー、また呼んでねっ?」
祐一の手の中にはマンガ本があった。
「ああ、良いぞ」
祐一は隣に座っている真琴に顔だけを向け、笑って答えた。
「あ…ぅ…」
「ん? どうしたんだ?」
戸惑っている真琴に対し、祐一が尋ねた。
「え…と、一緒に寝ても良いかな?」
真琴の爆弾発言に祐一は多少なりとも慌てた。
「な…いきなり、何を言い出すんだ?」
「あ、深い意味じゃなくて…ただ一緒に寝たいだけ…ダメかな?」
真琴は俯き、目線だけを祐一に向け、尋ねた。
「ま、まぁ、ただ寝るだけなら…」
「ホントッ!? ありがとー、祐一ッ!!」
真琴はそう喜びの声を上げ、祐一に抱きついた。
「その代わり、他の人に見られると説明が面倒だから午前四時には帰る事、いいな?」
「うん、分かったわよぅ」
そして二人は共に祐一の部屋で寝る事となった。
真琴がここまで説明を終えると、名雪、あゆが叫んだ。
「ちょっと、真琴ちゃん!? それホントなの!?」
「あぅ…まだ説明終わってない…」
「でも、祐一くんと一緒に寝始めて一週間近く経つって事!?」
あゆがもの凄い剣幕で真琴に問い始めた。
それが為、真琴は黙って頷く事しか出来なかった。
「………」
四人の間に暫くの沈黙が流れた。
最もこの事実を祐子と真琴の二人は知っているため、あゆと名雪の反応を待っている、と言ったほうが良いだろう。
そして二人の反応を待つこと数秒、あゆと名雪は息を思い切り吸い始めた。
「えーと、あゆ? 名雪?」
真琴が不安げな表情を浮かべ、二人の顔を覗きこんだ。
「ずるいよ!!! 真琴ちゃん!!!」
あゆと名雪の大声がステレオの様に、真琴の両耳に響いた。
「あぅー、ゴメンなさーい」
真琴は謝罪の言葉だけを残し、あまりの大音響に耐えられず、目を廻して倒れてしまった。
真琴が目を覚ますと、再度、あゆと名雪の二人が真琴に詰め寄った。
「で、それからどーしたの!?」
「あぅ…あゆと大して変わらないわよぅ…」
「そう、キスしたんだ、寝てる祐一に…」
名雪がゆっくりと真琴とあゆを見つめた。
「何かな? 名雪さん?」
「二人とも!! 寝ている人にキスをするなんて、そんな卑怯な真似…」
名雪がそこまで言うと、祐子が名雪の口を抑えた。
「ほら、本人はもうそんな事気にしてないから…だからそんなに怒らなくても…」
「本人!?」
真琴とあゆと名雪の三人の声が重なった。
「ゴメン、じゃなくて、私が…」
「何で祐子さんが関係あるのっ!?」
名雪が凄い形相で祐子を睨みつけた。
「あはは…ホントにその通りだよね」
もはや祐子の顔には空笑いしか浮かばず、あゆと真琴と名雪の三人は、それぞれが行った抜け駆け行為について言い合いをしていた。
後書き
えーと、もの凄くペース遅いですけど1話が今、ようやっと終わりました。
どーしたもんですかねぇ…
続くのかな?
ま、精一杯頑張ってみます。
一応次回は二月十一日、日曜日が舞台になりますです。
多分、4人で買い物へと出掛けたり、何やらするのかなぁ。
全く案が決まっておりません。
さぁ、困ったぞ、っと。