「秋子さん、あなたは一体何者ですか?」
水瀬家で夕刻時、薄暗い台所で溜息にも似た言葉が洩れた。
この様な口調で話すのはこの家には一人しか居ない。
相沢祐一、水瀬家で唯一の男性である。
しかし、声の質は明らかに彼のものと違っていた。
言うなれば、彼の声より幾分高い、と言う事だ。
それはまるで男性の声色と言うより、女性の声色と言って良いだろう。
この声の主は、これらの情報を元に結論を出すとすると、今まで水瀬家に住んでいなかった人物となる。
愛に時間を!!
序章〜相沢祐一から水瀬祐子へ〜
この水瀬家で溜息を吐いた人物がここに至るきっかけとなったのは、本日二月十日、土曜日の正午からだった。
あゆと真琴は水瀬秋子、彼女が裏に手を回した事により、あゆは祐一と同学年、真琴は祐一の一学年下へと編入し、現在は名雪と同じ陸上部に入っているので、名雪、あゆ、真琴の三人は部活関係で家の食卓には居なかった。
つまり事の発端は祐一と秋子、この二人が一緒の食卓で昼を迎えた事より始まった。
「祐一さん、実は相沢祐一と言う存在をこの世から消さなければいけない事態が起きてしまいました」
秋子が祐一の正面に位置する席で口をゆっくりと開いた。
一方、話しかけられた本人、祐一は、事の成り行きを理解するのに数秒の時を要した。
そして彼の頭に自分の存在が消えなければいけないという理由が一つ浮かんだ。
「秋子さん、それは…もしかして俺の親絡みですか?」
秋子は黙って頷き、祐一は然程、驚いた様子を見せなかった。
彼が驚きの様子を示さないのは、彼が親の仕事を把握していたからだった。
彼の親、相沢祐人と相沢裕香は掃除屋、つまりスイーパーと言う仕事に就いていた。
スイーパー、時には日本全体をも震撼させる組織とも戦いあう事もある。
それ故に、それ相応の力を要する。
彼がこの事に気付いたのは十の時、あゆの事故があり、親の下へ戻った時だった。
その頃、彼の精神は崩壊寸前だった。
大切な人を失った悲しみ、これを救ったのが絶対的な“力”だった。
彼、祐一は大切な人を、助けられる人を助けたいと言う思いで必死で力を手に入れた。
過酷な修行を彼の父から数年にも渡って受け続けた。
それが為に、祐一はスイーパーが如何に危険な仕事であるかも理解していた。
周りに及ぼす危険性さえも…
秋子は黙って席を立ち、オレンジ色をしたジャムを机の上に軽く置いた。
同時に祐一の肩も軽く震えた。
(ああ、これから毒薬で俺は殺されるのか。まぁ、皆に被害が及ぶのならこの方が…)
祐一が次のような事を思い、秋子の表情を伺った。
すると、秋子は少なからず怒りの表情をあらわにしていた。
「何が毒薬ですか!? あなたを殺すわけないじゃないですか」
秋子が珍しく声を高らかと上げた。
それほどジャムを毒薬呼ばわりされたのが気に障ったのだろう。
「あの〜、秋子さん? まさか…」
「祐一さん、私の作った安全なジャムを毒物呼ばわりしないで下さい」
「いや、じゃぁ、何でいきなりジャムを?」
「私がジャムを出すイコール殺人と言う等式が祐一さんの中で成り立っているのですか?」
秋子は微笑を浮かべ、祐一に尋ねた。
だが、その微笑は周りの空気を凍てつかせるような、そんな微笑だった。
舞台は祐一達が通う高校、今ここのグラウンドを陸上部が何十週と走っていた。
全員がジョギングペースで走っているので、皆の息は然程乱れていない。
「名雪さん、部長の権限でもう終わりにしない?」
あゆが少し前を走っている名雪に提案をした。
だが、名雪は少し振り向いて「ふぁいとっ、だよ」と楽しそうに返した。
部長である名雪には、今、走る事を止めるなんて考えは全く存在しなかった。
「祐一くんと早く逢いたいよね、真琴ちゃん?」
あゆは今度、隣を走っている真琴に話しかけた。
当然、名雪に聞こえるよう声を高らかに上げて、ではあるが。
「そうよねっ、名雪は祐一の事嫌いなのかしら」
真琴も又、声を大きくしてあゆに返した。
そしてあゆと真琴は名雪の後姿を見つめた。
名雪はゆっくりと、本当にゆっくりと振り向いて口を開けた。
「二人とも酷いよ、私は部長さんだから部活は決められた時間までやるよう指示しなきゃいけないんだよ? 私だって本当は祐一と一緒に居たいよ」
あゆは「うぐぅ、ごめんなさい」と、
真琴は「あぅ、ごめんなさい」と二人声を揃えて謝った。
当然の事ながら陸上部は走り続ける事となる。
時刻は丁度、祐一がオレンジ色のジャムを口にする瞬間だった。
秋子と祐一の間には微妙な沈黙が流れていた。
理由としては、秋子が祐一の狙われる理由についてを話したからだった。
祐一の両親、彼らは二人とも凄腕のスイーパーだ。
だが、ちょっとしたミスで二人の情報が洩れてしまった。
その事から祐一のスイーパーとしての力の情報も洩れ、狙われる羽目になったと言う。
裏世界に生きる住人達はスイーパーを最も嫌っている。
それが凄腕のスイーパーなら尚更だ。
つまり、祐一がこれ以上強くなる前に潰してしまおう、と考えるのは至極当然の事だった。
凄腕のスイーパー、祐一なら身を隠す必要すらないのではないだろうか?
その様な考えが普通の世界に生きる人達には浮かぶだろう。
しかし先程述べたように、周りに及ぼす危険性と言うのがある。
それが為、祐一は自分の存在を消す事を躊躇しなかった。
そして彼は今、目の前にあるジャムの瓶をじっと見つめている。
「あの、秋子さん? 他の死に方を選んでも良いでしょうか?」
「だから祐一さんを殺すなんて真似はしません!!」
祐一の問いに秋子は声を高らかに上げて返した。
そしてじれったくなったのか、祐一の鼻をつまみ、ジャムを祐一の口に押し込んだ。
そこで祐一の意識は途絶えた。
以上が、声の主が水瀬家に至る経緯の主な経過である。
つまり、女性の声色の正体、彼女はジャムを食べさせられた相沢祐一なのである。
因みに彼女は祐一であった頃の面影を全くと言って良いほど残していない。
髪の毛は黒のロング、前髪は短いので、黒い目がはっきりと見える。
そう、丁度名雪の髪と目が黒くなった感じの人物が出来上がっていた。
祐一が、自分が女性になってしまった、と気付いた数秒の後、台所のドアが開かれた。
姿を現したのは水瀬秋子だった。
「祐一さん、戸籍を男性から女性に変えておきましたから♪」
秋子が楽しそうに口を開いた。
「それはどうも、ってどういう事ですか!? これは?」
「世の中には知らなくて良い事もあるのですよ?」
再度、周りの空気を凍てつかせる微笑を見せ、秋子が言った。
「あ、それでこれからの貴方の名前は水瀬祐子ですから♪」
「もう皆が安全で俺が生きているのなら何でも良いです」
祐一は女性の声でそう述べた。
こうして水瀬祐子が誕生する事となった。
序章―後書き
うーん、長編SSだよ
最後は取り敢えず氷上様の為、早く書き上げたよ
TSFは難しいよ〜
設定こんなので良いのかなぁ?
あ、次回は祐子と水瀬シスターズの自己紹介から始まるよ
次回も読んでくれると嬉しいな
ボクも精一杯頑張るよ、次回作!!