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2月1日
「――栞さんの命は、次の誕生日までもちません…」
耳をふさぎたいことって時々ある。
認めたくもない事実って時々ある。
…あ、死ぬんだ。
栞は。
死ぬ。
たった二文字で。
栞がいなくなる……。
重々しい空間。
何とかしたいけど、もうどうにもならないやるせなさ。
深刻な表情。
…栞は、まだ15なのよ…?
栞を診てた医者の1/3も生きてやしない。
――まだ、あの子は何もしてないじゃない――
生まれてきてから、いつも姉の背中を追いかけてる子だった。
何よりも姉のことを自慢に思っている子だった。
そして…一生懸命な子だった。
…だった。
過去形。
――栞が死ぬ――
「自分で、もうわかってました…」
少しも辛い表情なんかしないで、あっけらかんと言ってきた。
「私…死ぬんですよね」
ためらって言えなかった…たった2文字を、あっさりと。
何も返せなくって、頷きも…そうだとも言わずにそのまま無視して栞から離れた。
そして、栞はその動作が事の肯定と理解したかのように、ゆっくり頷いた。
――笑顔で――
どこまでも続く空を見た。
手を伸ばしても、何処まで走っても追いつけない空を。
雲一つない空を。
…あの場所に、いつかあたしも逝くんだろう。
ただ…栞はそれが早かっただけだ―――
空から降り注ぐ暖かい日差しが、冷えた体を温めていく。
ゆっくりと、冷たい風が温まった体を冷やしていく。
手が届かないことを悔やむのではなく。
手さえ伸ばせないことを悔やんでいた…。
走っても追いつかないことを悔やむのではなく。
走る勇気さえないことを悔やんでいた…。
目の前にある、長い滑り台。
子供の頃から大好きだった。
――一緒に乗った滑り台――
砂をぱらぱらと落とすと、その砂は台を滑り…。
そして、落ちる。
あたしは、長い滑り台の階段を上がり、そして上がった時よりも長い距離を滑り落ちた。
2月1日。
その日は栞の誕生日…。
あと少しで、その日がやってくる。
――栞はもう、生きられない――
ガタガタと、風が窓を叩いていた。
とても寒そうに、まるで温かさを求めてドアを叩く、貧しい人のように。
栞の部屋にも、同じ風が窓を叩き…。
ガタガタと。
ガタガタと。
震えているように。
カラン…
――あ。
ガシャン!!
部屋に持ってきたガラスのコップ、落としちゃった…。
ついさっきまで形を保ち、確かに『生きていた』それを。
一瞬で割れて、壊れてしまったそれを。
――あ、コップが死んだ――
―死んだ―
―死…
あたしには何の影響もなく、破片は意味をもたずに床に転がった。
生きていた証拠なんて、何にも残せないで…。
せめて、あたしに消えない傷でも残せたらよかったろうに。
生きていた証拠は、あたしで証明できるのだから…。
雨がぽつぽつ降ってきていた。
雪は降らない。
ただ、雨が静かに降っていた。
ガタガタ。
ガタガタ。
ガタ…
…
風を、殺すように…。
寒い外で、懸命に生きようと根を張る花の存在を隠すように…。
静かに。
ただ、静かに。
静かすぎて…殺されてしまいそうなほどに…。
―雨は止んだ―
花は咲いて、そして葉は行き伸びた喜びを噛み締めながら、大粒の涙を流した。
風は吹いた。
機嫌が良さそうに、ピュ―ピューと口笛を吹きながら…。
そして、コップは死んだ。
ゴミ箱の中で、完全に。
コップは…。
栞は…。
「わかってたんです、私は…。だって、自分のことですからね」
あんなに悲しそうに作った笑いを見せて。
バレバレでヘタクソな芝居をして。
悲しくってどうしようもないくせに。
…そして、あたしはそれを知ってるくせに…。
「ひっく…ヒック…ふぁ…くっ…ううぅ…!!」
バレバレな芝居をして。
弱虫なくせに。
ぽた、ぽた。
あたしに…妹なんていないわ…。
ぽた、ぽた…。
あたしの部屋に、雨が降った…。
――だれも殺せない、ただ弱い雨が――
妹なんて…いない……わ。
「ヒック…! ううぅっ…うわぁぁぁ!!!」
いない。
いないのよ…。
――お姉ちゃんっ!――
あたしには…。
「ヒック…ひっく…。くっ…私…わ…たし…」
「死にたくない…」
…バカ…。
次の日も、栞は相変わらずのほほんとしてた。
鼻歌を歌いながら…。
いつも通りに、ストールを持って。
真っ白な肌で、真っ赤な頬で。
細い体で…元気一杯で。
――栞が死ぬ――
真っ白な肌で…真っ白な頬で。
……細い……体で…。
もう二度と、目を開けないで…。
笑わないで…。
――お姉ちゃん…!――
動かないで…。
あと、数日で。
栞の誕生日まで、一週間くらいで…。
コップみたいに、死ぬ。
「バッカみたい…」
…悔しいくらいに、涙が止まらなくて。
わけがわかんないくらい、体がガクガク震えて…。
「まだ…まだ…ううっ…! あぅぅぅ…えぅぅ…!! 私は…!」
「…っ!!」
声にもならない涙を流しながら…。
「死にたくない…」
あたしは…
あたしは……
「お姉ちゃん…」
あたしは――
――栞の姉だ――
コップでも、風でも、そして、ちっぽけな花でも…。
例え、栞がそれらのどれだったとしても…。
―あたしは栞の姉だ―
ガタ…。
涙を拭いて。
席を立って……。
カチャ…。
あたしは…また栞の姉になった…。
「…お姉ちゃん…」
真っ赤な顔で。
弱々しい顔で…。
この子の本当の姿で…。
――パンッ……!!――
呆然とした表情で自分の左頬をおさえる栞を見て。
ヒリヒリと痛む、自分の右手をそっと…栞の肩に置き。
「痛い!? 痛いでしょう……!!? あたりまえよっ! あんたはまだ生きてるんだから……!!!!」
思いっきり…怒鳴った。
視界が真っ白にぼやけながら、目から溢れてくる涙を拭くことなく。
「…お姉ちゃん…」
「あんたはまだ…死んじゃいないのよ…」
ぎゅっと…小さな妹を抱きしめた…。
「うっ…えぅっ…!!!」
真っ白な肌で…真っ白な頬で。
……細い……体で…。
精一杯生きてきた、こんなにも小さな命を…。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁ……!! お姉ちゃん…! お姉ちゃぁん……!!!」
こんなにも小さな温もりを…。
こんなにも小さなあたしの全てで…。
ぎゅっ…と。
抱きしめた……。
ゆらゆらと、雪が降っていた…。
まるで、あたしの心が溶けるのを待っていたかのように…。
温かく。
ただ、静かに…。
今…あたしの中で一番大切な人。
あたしが守るべき人…。
それは、栞なんだ…。
だから、あたしは栞を見た。
残り一週間。
遅すぎた雪溶けだけど…。
あたしは栞と歩くんだ。
あなたの生きた証拠は、あたしが証明し続けるから…。
後書き
Kanonでの栞シナリオ以外での栞サイドの展開を、香里一人称で進めてみました。
このあと栞が助かるか助からないかは、読んでくださった方の考えに任せます。
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